最上義光歴史館

メンテナンスのお知らせ

平素より、当ホームページをご利用いただきまして 誠にありがとうございます。

ただいま、メンテナンスにより ホームページを閲覧できない状態になっております。
アクセスをいただいたお客さまには 大変ご迷惑おかけしていることを お詫び申し上げます。

なお、お急ぎの方は、電話にて お問い合わせいただきますようお願い申し上げます。

最上義光歴史館

〒990-0046
山形県山形市大手町1-53
TEL:023-625-7101
FAX:023-625-7102

「直江兼続VS最上義光」~決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦

直江兼続(なおえかねつぐ) 最上義光(もがみよしあき)
慶長出羽合戦
Memorial Ranking
|管理運営 / 最上義光歴史館|当サイトについて|
合戦のあとで:「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦

合戦のあとで:「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦

直江兼続(なおえかねつぐ) 最上義光(もがみよしあき)
合戦のあとで

徳川家康が後顧の憂いなく、関ヶ原合戦に全力を傾注できたのは、最上義光が上杉を牽制したからだと言われる。その点で、半月もの長期間にわたって上杉軍を釘づけにした「慶長出羽合戦」は、大きな意味があったといえるだろう。

合戦後の論功において、義光は33万石という異例の加増を受け、置賜を除く山形県全部と秋田県南部を含む57万石の大大名になった。

合戦後の最上時代は、新たな山形の夜明けであった。都市山形はここからスタートした。平和を謳歌する領内は、産業、経済、文化、各面にわたって大きな飛躍を遂げた。「最上百万石」と称される「山形の黄金時代」がここに現出したのである。

長谷堂城を守り抜いた志村光安は、酒田3万石の城主に栄転し、港町酒田の建設と繁栄のために力を尽くした。

上杉氏は米沢30万石に減封されるが、直江兼続は藩政を確立し、米沢の街づくりに大きな功績を残した。

長谷堂地内、国道458号線のかたわらにある「主水塚」は、敵将を惜しみつつ、敵味方の隔てなく手厚く弔った山形人の心を、今も語り続けている。

(片桐繁雄)
|管理運営 / 最上義光歴史館|当サイトについて|
Contents 202件 Today 29件 Yesterday 72件 Access 1,533,514件