▼長谷堂城跡(はせどうじょうあと)
ここ長谷堂城跡は、山形城の西南約7キロに位置し、標高227メートル、比高約85メートルの独立丘陵に築かれた平山城で、古くから天然の要害の地でした。

全国きっての智将、会津の上杉景勝の家老直江山城守兼続が、山形の最上義光を攻めた慶長出羽合戦の折、最上軍の将志村伊豆守光安が長谷堂城に拠って、2万数千の大軍の猛攻撃から、半月にわたって凌ぎ城を守りきった城としても有名です。

このことから、長谷堂城は「難攻不落」として戦史に残ることになりました。

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2008/05/22 13:09

▼長谷堂より山形城を望む

長谷堂城跡から山形城跡(現在の霞城公園)方向を望む光景。
本丸跡の頂上からは、山形城が見え、遠く天童の舞鶴山もはっきりと見られます。



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▼長谷堂より菅沢山を望む

上杉軍の本陣が置かれたとされる菅沢山。
長谷堂城からは目と鼻の先、北西約1キロほどの距離です。

長谷堂城主は志村光安の加勢に入ったのは、鮭延越前、小国大膳、川熊讃岐守その他。

まさに最上軍の主力部隊を、戦さの生命線となるこの地に集めたと言っていいでしょう。

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▼歴史の跡が数多く残された平山城

山の斜面には、幾段もの曲輪(くるわ)が設けられています。
二の丸は東西310メートル、南北510メートルほどで、城山の梺の家々も含まれています。

町の西〜北は一重、東側は二重の水濠をめぐらし、南は本沢川が自然の堀となっていました。城山の長谷堂観音、八幡神社、阿弥陀堂なども、昔は城内にありました。




切り岸(壁)と帯曲輪(平地)が繰り返されてできている平山城。



壁を駆け登ってくる敵兵が滑りやすいように、切り岸にはシャガという草生い茂っています。



当時水場のあったあたり。戦さに水はなくてはならないものでした。



城山の周りには内町と八幡町があり、当時の城下町の名残りを今に伝えています。

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▼長谷堂城山の遠景

長谷堂の城山の遠景です。
横から見ると亀の形をしていると言われています。

城の周りには武士や百姓が集まって住み、小さい城下町が形成されていました。
クランク型やT字型の細い道が、昔の姿を残しています。

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