上杉軍の最上侵攻:「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦

直江兼続(なおえかねつぐ) 最上義光(もがみよしあき)
上杉軍の最上侵攻

この年の7月、家康が大軍を率いて上杉討伐に北上した間隙をついて、石田グループが挙兵する。この報に接した家康は、上杉攻めを中断して上方に発進する。

家康の西上を知った上杉は、最上侵攻を決断し、米沢城主直江山城守兼続を総大将とする2万とも3万とも言われる大軍をもって、怒濤のごとく最上領内に乱入した。

主力軍は狐越の道筋から畑谷・長谷堂を経て山形城へ、左翼軍は最上川沿いに下って寒河江方面へ、右翼軍は上山城攻撃に向かう。更に、上杉領だった庄内からは、最上川をさかのぼる一軍と、六十里越えの一軍が長駆最上領に侵入する。典型的な分進合攻戦略である。

軍事力においてははるかに劣る最上側は、領内各地の出城のほとんどを、放棄するしかなかった。


▲上杉軍の最上領進攻経路 (※クリックすると拡大します)

【参考】Googleマップ
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